批評ゼミ通信講座|選抜評論:災害と再制(再生)作/sugiura


災害と再制(再生)作
sugiura

 

あらゆるものは、時間と共にその形を変えていく。それは美術作品においても同様である。例えば経年劣化による褪色やひび割れ、または接触による摩耗や変形、あるいは、地震や水害といった災害に遭遇したことによる損傷などが挙げられる。色や形に変化が生じた作品は、従来の姿に近づける修復作業が施されることが多いだろう。しかし、中には変容した作品を元に戻すのではなく、作家自身が手を加え、新たな作品としたケースもある。ここでは、水害により損傷した作品を元に再制作された、坂田一男≪静物Ⅱ≫(1934年)と石内都≪The Drowned≫(2020年)を取り上げ、自らの作品が被災した際に作家はどのような反応を示したのか、再制作された作品は何をあらわすのかを考えたい。

坂田一男(1889~1956)は岡山県に生まれ、1920年代にパリに渡り現地で活躍した後に帰国し、故郷で制作を続けた洋画家である。没後、その画業は忘れられていたが、2019年に東京ステーションギャラリー(東京都中央区)で展覧会が開催され注目を集めたことは記憶に新しい。坂田のアトリエは低い土地にあったため2度の冠水被害に遭い、多くの作品が損失あるいは損傷した。≪静物Ⅱ≫も、水害により傷を負った作品のひとつである。キュビズムの様式で描かれた本作は、中央やや上に白い直方体とそれに重なるように黒い壺が描かれ、周囲にピンク色と黄色の椅子のようなものや、向かって右側が切断されたように見えるテーブルらしきものなどが描かれている。作品の縁に近い部分は絵具の剥落が激しく、キャンバスの地がむき出しになっており、水害の痕跡を見てとることができる。

一方の石内都(1947~)は独学で写真制作をはじめ、1979年に横須賀の街並みを撮影した写真集「APARTMENT」で木村伊兵衛賞を受賞。以降、国内外で数多くの作品を発表し、国際的に評価されている写真家である。その石内が、2020年に≪The Drowned≫を発表した。一見しただけでは写真とわからないような見た目だが、元は石内が自身の祖父母を撮影した≪1899≫(1994年)という作品だった。この作品が収蔵されていた川崎市市民ミュージアム(神奈川県川崎市)が2019年に台風で被災し、収蔵庫に浸水した際に作品も水に浸ったのである。かつては祖母の足が画面全体に写っていた作品は、現在は下方にかろうじて足の指先がみとめられるものの、まるで白と茶の絵具を塗り重ねた抽象絵画のように見えるほど従来の姿は失われている。

坂田の≪静物Ⅱ≫は、日常的に目にする物が様々な形の平面としてキャンバス上に再構築されている。そこに激しい水流がぶつかり画面上で暴れまわった結果、絵具は剥落し描かれたモチーフのいくつかは消失し、画面が作り変えられた。そんな思いがけない事故により生まれた新しい“作品”に対して、作家は剥がれた絵具の破片を張り付けるといった操作を行い、組み立て直したのである。この行為は、作品を元の状態に近づける「修復」ではなく、「再制作」あるいは「アップデート(更新作業)」であるといえよう。この行動から、画面を構築することへの坂田の強い探求心が見てとれるように思う。

また、石内はその長いキャリアにおいて、「外的な力により姿を変えた物/者の姿」を数多く撮影してきた。例えば、ごく初期の「横須賀三部作」とよばれる作品では米軍基地により姿が変わった街並みとそこにいた女性たちの気配、「キズアト」と題されたシリーズでは手術痕や火傷といった女性の身体に刻まれた様々な傷跡、そして近年では交通事故の後遺症によりコルセットを身に着けることを余儀なくされた画家、フリーダ・カーロの遺品、原爆の犠牲者たちの衣服などを撮影している。ともすれば「被害者」として括られる被写体を、表面の物質的な側面に焦点を当てて撮影することで憐憫の眼差しが注がれることを退け、それらの持ち主の存在を反転的に意識させる手法を用いてきた。石内は≪The Drowned≫においても傷ついた作品を何ら演出することなく撮影し、表面の物質性が強調されるような作品に仕立てている。そして起きた出来事そのままに≪The Drowned≫(=水没)と題して発表した。

坂田と石内の制作時期には90年程の隔たりがあり、石内のインタビューなどを確認する限り坂田の作品は知らないようだが、共に「災害に遭遇した後に再制作された」という特異な系譜に連なる作品である。その具体的な方法は異なるものの、予期しない出来事を作品に昇華させる方向性は共通している。また、坂田の追求したキュビズムは、いわば“世界を再構築して見せる手法”であり、被災後の再制作によってその特徴がより際立つ作品となった。そして石内は、自らの作品が、長年被写体としてきた「外的な力によって姿を変えたもの」となり、それを作品化したことで関心の在り処がより明確に示されたといえる。つまり、両作品は被災により作品の姿が変わることで、かえって作家の特徴を強調する結果となったのである。

多くの場合、美術作品が損傷した際は元の姿に近づけるために修復作業が行われるだろう。しかし2人は修復でも、まして廃棄でもなく、新たな作品として発表した。損傷の跡が剝きだしになった作品は、見る者に衝撃や戸惑いを与えたり、自然災害に遭いながらも生き残った樹木のような健気さを感じさせるかもしれない。しかし鑑賞者の眼前にあるのは「傷付いた作品」ではなく、被災=カタストロフィを自身の表現へと取り込んだ、作家達の貪欲かつ強靭な思考と手つきの痕跡といえる。

 


坂田一男 ≪静物Ⅱ≫ 1934年 キャンバス、油彩44cm×36.5cm 大原美術館蔵

石内都 ≪The Drowned #2≫ 2020年 102.4cm×68.0㎝
川崎市市民ミュージアム蔵

蜘蛛と箒

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