蜘蛛と箒批評ゼミ|批評コンクール:最優秀賞 fumina shimooka
(確かな)身体ー谷中佑輔《Pulp Physique》における調和ー
fumina shimooka
谷中佑輔(1988-)は主に彫刻とパフォーマンスによる作品で知られ、彫刻と身体の関係性に着目し、制作を行っている。「彫刻的であることとパフォーマンス的であること、彫刻と身体の関係をお互いの媒介作用であるかのようにこの生態系の運動の内部で作用させたい[1]」と語られる彼の作品を元に、ここでは谷中の作品における「身体」について考えてみたい。
本稿では特に、谷中の《Pulp Physique》シリーズについて取り上げたい。ここでは「DOMANI・明日展 2022–23 百年まえから、百年あとへ」展(2022年11月19日-2023年1月29日、於国立新美術館)において展示されている同シリーズの(#9)から(#12)までを論じることとする。この《Pulp Physique》シリーズは、谷中が身体を大きなテーマとして制作を行ってきたにも拘わらず、主だって人体彫刻を作ってこなかったことを補完するように、構想され、制作されてきた作品群である。ある程度決まりのある“フォーム”による作品である一方で、「そう(定型に)なりすぎないように、ちょっとドロッとした、ぐにゃっとした身体性[2]」のイメージが込められていると作者自身に語られているように、実際の人間の身体のかたちが忠実に再現された、いわゆる「人体彫刻」とは様相を異にし、「手」「顔」「皮膚」「耳」「臓器」のような身体の各部位を表すオブジェが、金属性のワイヤーのような部材でつなげられ、構成されている。オブジェの素材は、アクリル強化石膏、ファイバーグラス、ポリウレタンなど様々だが、部位の接続によって構築された「Pulp」=「やすものの」、「Physique」=「からだ」は、西洋の彫刻制作の根幹にある、充実した身体の構築を目指し、量感と動勢が意識されて作られる人体彫刻のそれと比較すると、文字通り物質的に頼りない印象を伝える。
ここで注目しておきたいのが、《Pulp Physique》において身体の各部位のなかでも特段「手」が多く用いられ、重要な意味を持っている点だ。「DOMANI・明日展」で展示されている最新作の《Pulp Physique》シリーズの4つの作品において、10点あまりの「手」が部位として用いられており、これは同作品内の他の身体の部位と比べると、群を抜いて多い数である。「手」は、《Pulp Physique》の制作において、アッサンブラージュ的に身体の部位などの各要素を配置して作品を構築する際、実際の谷中自身の手を用い、作品にどのように介入できるか試した後、型取りを行うという、重要な要素を担っている[3]。作品にとって適切であると考えられる自身の手の形の型を取って作品に落とし込み、全体の構成もこの「手」によって変わることがあるという、自身の「手」の作品への介入は、谷中も語っているよう[4]に、自ら制作した彫刻とともにパフォーマンスを行う=自身の身体を作品に「介入」させる、という彫刻とパフォーマンスによって作品を構築する彼独自の取り組みとも重なる。
さらに興味深いのが、この「手」に用いられている素材である。「アクリル強化石膏」という、「石膏」に由来する素材によってかたちづくられているが(1点は全面に箔が施されている)、「石膏」は西洋から輸入された外来の素材であり、近代以降に成立した日本の彫刻制作法において大きな割合を占める、塑像・鋳造法のためには欠かせない素材である。石膏は塑像制作において基礎(オリジナル)の形を定める重要な素材であり、また古典彫刻の石膏像などは、現代の美術教育の基礎を成すデッサン教育でも欠かすことのできない教材でもあるが、一般的に完成作として提示される際は、ブロンズなど他の強い素材に置き換えられる、過程のための素材であり、金属などと比較すると、弱い素材でもある。作品において重要な要素である「手」が、心もとない素材である石膏でかたどられることにより、現実世界に確かに存在している谷中自身の物質としての身体が、《Pulp Physique》では心もとなく、頼りないものとして顕現している。しかし、この作品において重要なのは、物質的な身体の「頼りなさ」が強調されることによって逆説的に表れる、自身の身体と彫刻とを結ぶ「関係性」の強固さではないか。
ここで仮に「手」がブロンズなどの金属でつくられていたのなら、それ自体が物質的な強さを持ち、作品における谷中の身体の「介入」を強めてしまうだろう。「彫刻的であることとパフォーマンス的であること、彫刻と身体の関係をお互いの媒介作用であるかのようにこの生態系の運動の内部で作用させたい[5]」と語られるように、彼の作品には一貫して彫刻と身体それぞれが均衡のとれた配分で関係を結ぶ、作品内で彫刻と身体の調和する循環作用への志が見受けられる。どちらかの力が強すぎては「生態系」の均衡が崩れ、関係性は解かれてしまう。《Pulp Physique》においてもそれは同様であり、この作品は確かに人体彫刻と銘打たれ、質量を持った物質の作品ではあるのだが、その実、見るように差し向けられているのは、作品の背景で固く結ばれた、谷中の身体と彫刻との(目には)見えざる「関係性」なのであろう。ここでは西洋的な、可視の人体彫刻により、均衡のとれた身体=世界の調和が表出されているのではなく、不可視の関係性により、均衡のとれた彫刻と身体との循環=世界の調和が表出されている。この有機的で変容し得る「関係性」に基づきかたちを生み出す意識は、かたちあるものそれ自体が、意味が、それらを構築するものが、「すべて」が変容しつつあると感じられる現実を生きるわたしたちにとっても身近な、谷中の作品に顕著な、現代的な意識だといえるだろう。パフォーマンス作品では、今・生きている彼自身の肉体の動きという、実在の身体を強く意識させる行為によって、彫刻と身体との「関係性」を強く提示する谷中だが、物質のみで成立させる彫刻作品においては、あえて自身の身体の非実在性を提示することで、彫刻と身体との「関係性」を押し出しているのではないだろうか。
《Pulp Physique》において、見ることのできる確かな身体は不在である。しかし、ばらばらのからだを結ぶ金属の上に、かたちを結ぶ手と手の間に、箔で彩られた臓器の螺旋に、わたしたちは「彼」のからだを見るだろう。無機質で弱い化学物質になってなお、それらを「手」や「顔」や「皮膚」や「耳」や「臓器」と認識してしまう(確かな)身体が、そこには在るのだから。
[1] https://domani-ten.com/artist/exhibition/taninaka_yuske.php (2022/12/27 閲覧)
[2] https://www.youtube.com/watch?v=E_wObhYefck&t=66s (2022/12/27 閲覧)
[3] 前掲出註2 参照
[4] 前掲出註2 参照
[5] 前掲出註1 参照
【主要参考文献】
https://domani-ten.com/artist/exhibition/taninaka_yuske.php (2022/12/27 閲覧)
https://www.youtube.com/watch?v=E_wObhYefck&t=66s (2022/12/27 閲覧)
全て筆者撮影(「DOMANI・明日展 2022–23 百年まえから、百年あとへ」展(2022年11月19日-2023年1月29日、於国立新美術館)
谷中佑輔《Pulp Physique(#9)》2022年、アクリル強化石膏、ファイバーグラス、ポリウレタン、鉄、金箔、他、60×120×120㎝
谷中佑輔《Pulp Physique(#10)》2022年、アクリル強化石膏、ファイバーグラス、ポリウレタン、鉄、金箔、他、105×58×17㎝
谷中佑輔《Pulp Physique(#11)》2022年、アクリル強化石膏、ファイバーグラス、ポリウレタン、鉄、金箔、他、24×68×87㎝
谷中佑輔《Pulp Physique(#12)》2022年、アクリル強化石膏、ファイバーグラス、ポリウレタン、鉄、金箔、他、90×23×23㎝