ホラー映画+アクション映画=コミック映画の先駆——『ダークマン』について

ブログがまともな記事として認められる字数は、千字が一つの基準としてあるようだ。さらに、それが30記事作られると、ブログとしてとりあえず認められる基準になっているようだ。これがどういうことなのかは、まだ自分では理解できていないが、ブログを書き続けるために、この千字/30記事を最初の目標にしてみたいと思う。まぁ、そんなことを気にして書いていたら、疲れてしまうのでまずは気軽に始めていくことにしよう。

今日は、1990年に作られたサム・ライミ監督の『ダークマン』を取り上げてみたい。ジャンルとしてはホラーアクションムービーで、『スパイダーマン』のシリーズにつながっていく要素が詰め込められている。また、2000年以降盛んに作られていくアメコミの本格アクション映画の基礎を作っているともいえるような映画であった。

人工皮膚の研究者である主人公ペイトンが、恋人の弁護士の手がけている事件に巻き込まれ、全身に火傷を負い怪物のような人間になってしまう。彼は社会的に死んだことになり、自らの怪物化した姿を見せないために恋人からも隠れて生きることが強いられるようになる。ここから、自分を殺そうとし、このような姿にした組織や人間への復讐が始まる。

容姿などに障害を抱え、社会から隠れて生きなければならなくなった男という設定は、『オペラ座の怪人』、『透明人間』、『フランケンシュタイン』などのホラー映画の古典をなぞっている。ライミは映像表現などでも、そういった古典映画への嗜好を(当時の)現代的な風景の中に挟み込んでいる。
ダイハードのようなアクション映画と古典的なホラー映画の折衷として、ダークマンというキャラクターが造形されていることがよくわかる。ホラー映画のテイストが入っているため、敵の殺し屋たちはたんに殺されるのではなく、恐怖体験をすることになるのがだが、そこがこの映画のユニークなところでおかしいところである。
アクションとしての一番の見所は、ヘリコプターのロープにぶら下がりながらビルの合間を縫うように移動していくシーンだ。これはスパーダーマンに直結していくシーンであり、特徴のある移動の運動性をここですでに発揮していると感じられた。
漫画的な世界観を、ロケーション撮影を多用し、現実の風景の中で展開させる手触りが、2000年以降のアメコミを映画化した作品群とのつながりを特に感じさせるように思った。

また、ホラー映画という文脈は外して考えても、異形のヒーロ、アンチヒーローの設定が徹底されていることは、この映画の特徴と言えるだろう。アメコミはともかく、異形のヒーロ、アンチヒーローを全面化した映画は、当時はまだ珍しかったのではないだろうか。
決して派手な映画ではないが、映画の隅々まで愛着を持って作り込まれており、映画の表現主義的な要素と漫画的世界観を無理なく統合し映像化させた快作である。

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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