COLLECTED LETTERS/コレクテッド・レターズ |佐藤純也、新津保建秀、鄭梨愛、松本菜々
COLLECTED LETTERS/コレクテッド・レターズ
参加アーティスト:佐藤純也、新津保建秀、鄭梨愛、松本菜々
—蜘蛛と箒のサブスクリプション・ワークス—
月額500円で、アーティストからの手紙が届く
今回蜘蛛と箒は、TALION GALLERYの協力のもと、「COLLECTED LETTERS (コレクテッド・レターズ)」と「温田山のポプリメール」という二つの新しいプロジェクトを開始します。この二つの企画は、「郵便」という設定をもとにしたサブスプリクション・ワークス(定期購読型作品)です。購読者に6ヶ月間、毎月一回、アーティストからの手紙=作品が届くプロジェクトです。
◯角3封筒に入ったモノクロプリントによる作品。 料金:6ヶ月一括¥3,000 (送料720円) |
—あらゆる手紙は絵葉書である…(絵葉書とは)開かれているものであり、郵便配達夫なり誰でもが手に持って読むことができるものだけれども、同時にそれを読むのは暗号を施されたテクスト、秘密のテクストとしてなのです。— ジャック・デリダ 現在はオンライン上での展覧会や映像作品の公開などの試みがさまざまな場所で行われていますが、蜘蛛と箒では「プロダクト」という条件にこだわり、郵便や手紙という形式を用いたプロジェクトを展開することにしました。これは申し込み後にリンクのページに飛んで、見たら終わり、読んだら終わりではなく、手紙が届き続ける6ヶ月間の経験が作品となるプロジェクトです。このことは、ジャック・デリダが「あらゆる文化はある種の郵便的テクノロジーと分離し得ない」といったその意味を、このオンラインが全面化した状況、コロナウィルスによって変化している私たちの日常の中で、改めて考えてみることです。 手紙とは、単に読むものではなく、「待つもの」であり、「届けられるもの」であり、「手にとるもの」であり、「開封されるもの」であり、そして「観られる/読まれるもの」であります。この遅さ、距離、モノの存在が、手紙の内容と分けられないものとしてあります。さらにいえば、手紙=作品とは、読んでそこで経験が閉じられるのではなく、次にくる手紙=作品を待つ時間へとつなげられる。そして、全ての手紙=作品が手元に残る時、それは一つの「書簡集」となります。 |
【参加アーティスト】
佐藤 純也|SATO Junya
“Gray Scale” 2018, oil on canvas, 27.3×22cm / 22.7×15.8cm
Courtesy of AOYAMA|MEGURO
「これらの時代の愛」 お申し込みはこちらから 【プロフィール】 |
新津保 建秀|SHINTSUBO Kenshu
“Untitled”,2019, Pigment print, 42.5×237.6cm
Courtesy of Kenshu Shintsubo
コロナになって家の近所をあるきながら撮ることがふえたので、先週、これに適したレンジファインダーのカメラを入手しました。今更ながらですが、カメラが軽量化することで対象との間合いがかなり変化することに気がつき、面白く思っています。今回はこの感覚と、2年前、コロナ禍がなかったころのリスボンを歩いた時にさぐった感覚をもとに、これまで訪れてみたかった街をひとり訪れ、歩いているときの時間に触れてみることを試みたいと考えています。 お申し込みはこちらから 【プロフィール】 |
鄭 梨愛|CHONG Ri Ae
“Vision”, 2020, 148.3×318.4×20.0cm
Courtesy of CHONG Ri Ae 撮影:上野則宏
去年の今頃は、部屋の窓から見えるのどかな景色とは裏腹に、徐々に募る不安や焦燥感と葛藤する、そんな忙しない日々だったような気がします。そのような日々のなかで、小説や詩などから触れた「言葉たち」には、とても救われ励まされたりしました。 お申し込みはこちらから 【プロフィール】 |
松本 菜々|MATSUMOTO Nana
Kuroshio Current(coconut), 2020
Courtesy of Nana Matsumoto 撮影:宮下夏子
机の上には、先ほど食べたビスケットの欠片が散らばっている。それはどこか夜空に光る星々の様にも見え、他よりも僅かに大きな三つの欠片は、まるで夏の大三角の様だ。 夏の夜空に一際強く輝く、ベガ、アルタイル、デネブから構成される夏の大三角は、同時に琴座、鷲座、白鳥座を構成する星の集まりでもある。古代の人々が動物や物に見立て、神話や逸話と共に語ったその星々は、実際には岩石やガスのような物質でできた恒星であり、私の眼前に散らばっている物も小麦粉と砂糖等を練り込んで焼かれたビスケットの欠片でしかない。時として因果的にも非-因果的にも結びつく多義的な様相は、単に人が恣意的に物語や形象を付与しているに過ぎず、あるいは想像でしかないのかもしれない。 お申し込みはこちらから |