蜘蛛と箒批評ゼミ|批評コンクール:優秀賞 sugiura(沢山選)

日常の一隅を照らす ―山口幸士の描く風景画について―
sugiura             

                                                                          

 アスファルトに落ちる樹木の影、川面に浮かぶ水鳥。そんな日常の生活で目にした風景を描く画家、山口幸士(1982~)の作品は静けさに満ちている。スケートボードをきっかけにストリートカルチャーに親しみながら青春時代を過ごした山口は、出身地である川崎や、サンフランシスコ、ニューヨークなどの都市の風景を描いてきた。2015年から3年間ニューヨークに滞在した後に帰国し、現在は東京を拠点に活動している彼は、今年の初夏に川崎市内の工場で5日間のみの個展「小さな光」[i]を開催した。川崎港に面したその工場は絵画の展示に適しているとはいえない環境だったが、明るく穏やかな色彩で描かれた作品と不思議な調和を見せていたように思う。スケートボードを通して得た視点に基づき、日々の暮らしの中で目にする風景を描くこの画家の作品について、これまでの創作活動と先述の個展から考える。

 

作家と作品

 

 山口幸士は1982年に神奈川県川崎市で生まれた。画家の祖父を持ち、自身も子供の頃から絵を描くことは好きだったが、小学生の頃に出会ったスケートボードが彼の人生や価値観に大きな影響を与えることになる。10代から大学時代にかけて様々な場所で滑り、ストリートで多くの時間を過ごした後に大学で経営学を学ぶが、卒業後は絵を描く生活を選び、アルバイトで旅費を貯めてはサンフランシスコへ向かい現地の風景を描く日々を過ごしていたという[ii]。この頃の作品はスケートボードを滑る場所である「スポット」とよばれる空間を描いたものが多い。この時期の創作活動について、本人が「街の雰囲気を作品に取り入れたかった」[iii]と語っているように、当時の作品である≪Wallenberg≫(2011年)や≪blackhubba≫(2014年)には、ペンで描かれた写実的な風景画の上に、落書きのような文字の書き込みや現地で見つけた様々な紙の貼付が見られる。また、支持体である紙をコーヒーに漬けるといった試みも行っており、グラフィティアートなどのストリートカルチャーの影響を受け、様々な取り組みを試していることがわかる。

 

《Wallenberg》2011年 インク、コラージュ、コーヒー 

 

《blackhubba》2014年 インク、紙 サイズ不明

 

 その後、2015年にニューヨークへ渡り現地でもスポットを描き続けていたが、怪我により松葉杖生活となったことでそれまで目を向けなかった場所も描くようになり、作風に変化が現れる。具体的には、鉛筆画やペン画から油彩画への変更、描く場所がアスファルトやビルといった都市の一角から自然の多い場所に変わったこと、さらに、画面全体を水平方向にぶれたように描く表現が見られるようになったことである。

≪Sitting people in the park≫ 2017年 油彩 610cm×510cm 

≪Flower16≫ 2019年 油彩 273cm×220cm 

 

 この時期の作品≪Sitting people in the park≫(2017年)は戸外に座る人々の姿が描かれており、地面に落ちる木々の影と光の当たる部分との色彩の対比が印象的な作品である。「スケートの流れる景色を、スケートスポットでない場所で描くことで自身のアイデンティティを間接的に表現できると思った」[iv]と山口が語るように、これ以降の作品は、住宅街や道端の植物、あるいは花瓶に活けられた花といった、日々の暮らしの中で目にする風景でありながら、後ろに流れ去る一瞬をとらえたような描写が特徴的である。また、≪Flower16≫(2019年)をはじめとする卓上に置かれた草花などを描いた一連の作品は、敬愛する[v]というジョルジョ・モランディ(1890~1964)の静物画を思わせるが、山口の描く静物は輪郭線が曖昧なため隣り合う色彩同士が重なりながら画面を構成しており、モチーフ同士の明確な境目がない。静かな雰囲気を湛える一方、横にぶれた動的な描写によって現実から乖離されたような浮遊感が生み出され、軽やかさと当時に不安定さを感じさせる。この表現は、様々な事物とのぶつかり合いから生まれるエネルギーをその活動の源とするストリートカルチャーやストリートアートというよりも、ベンヤミンが考察した「遊歩者」の視点に近い。「遊歩者」とは都市空間を目的なくさまよい歩く者達を指し[vi]、後にスーザン・ソンタグによって都市空間を撮影し自らの表現とした写真家たちと共通することが指摘されている。スケートボードに乗って街を滑り、そこで得た視点に基づいて創作を行う点はこの遊歩者と共通するものがあるといえるだろう。しかしその一方で、風景を写真に撮ることは眼前の光景を記録する行為であり、風景を描くことは画家が目にした光景をキャンバスに再構成する行為であるという違いがある。横にぶれる描き方、つまり写実の度合いを下げて描く手法は、場所の再現性を弱めるといってよい。そのようにして表された景色は固有性を失い、普遍性を帯びた景色へと変化するといえる。特定の場所を描いてきた山口だが、この変化により描かれたモチーフの形が崩れ、抽象性を持つことになる。

2018年に帰国した彼は、生まれ育った場所である川崎市について改めて見つめ直したという[vii]。その結果、市内の風景を描いた作品を展示する個展を開催するに至った。自主的に企画・実施したというこの展示には、山口の視点や関心事が強く反映されている。ここからは「小さな光」と題されたその個展について述べていきたい。

 

個展「小さな光」

 

 神奈川県川崎市は、多摩川の流れに沿って南北に細長く伸びた形の人口150万人を超える大都市である。北部には住宅地が広がり、南部の海に面した地域は工場が多く、その風景は閑静な街並みから工業地帯へと徐々に変化していく。また、その歴史に目を向けると、昭和期に工業都市として大きく発展する一方で各地から集まった移住者に対する差別などの問題を現在も抱える地域である。展示を企画した際、山口はそういった歴史的な背景も意識したという[viii]。そして個展の会場として選ばれたのは、JR鶴見線の武蔵白石駅から徒歩10分ほどの場所にある、現在も稼働しているリサイクル工場だった。JR鶴見線は、鶴見駅(横浜市鶴見区)と扇町駅(川崎市川崎区)を結ぶ、川崎市の海沿いの地域に勤務する人々が多く利用する路線である。武蔵白石駅周辺には工場が多く、様々な資材を積んだ大型トラックが行き交う無骨さの漂う街並みが特徴的な場所だ。展示によせた画家の文章には「会場までの道のりも楽しんでほしい」[ix]とあり、工業地帯としての川崎を体感できる街並みを歩いた後に市内の風景を描いた作品と向かい合うこの仕掛けは、作家の視点を鑑賞者が追体験すると同時に、作品と場所の関連性を示すための手段だったといえる。

 

展覧会の会場風景(山口幸士ウェブサイトより)

 

 工場は川崎港に面しており、薄暗い会場にはガラスの入っていない窓から潮風が直接吹き込み、コンクリートの床には部分的に水が溜まっていた。一方、展示された作品は穏やかな色調のものが多く、具体的な場所を定めることのできない路上や室内に活けられた花、あるいは夜間照明がまぶしく光る工場の外観を描いた作品など様々で、荒涼とした雰囲気の会場とのコントラストが印象的だった。そのような特殊な環境で、鑑賞者は必然的に川崎の歴史や風景を意識しながらこれらの作品と向かい合うことになる。会場は工業都市として発展した川崎の特徴を凝縮したような場所だが、一方でそこに置かれた作品は日常で目にする光景が丹念に描かれたものである。薄暗く荒々しい会場と穏やかで静かな風景画は対照的でありながらも不思議な調和を見せていた。それは単に川崎という共通項があるためではなく、白と青が多く使用された絵画が多く展示されていたことから、空間の中で作品群がまとまりを見せていたことが大きい。そんな色合いへの配慮も相まって、ひとつの地域でありながらも工業地帯と住宅街を内包する川崎の特性を展示全体で示しているようだった。山口の普遍性を持つ風景画が展示される場所によって固有性を再び獲得する、作品と場所が相互補完的な関係を成すこの展示は、インスタレーションと考える方が適切である。帰国後まもなく発生したコロナ禍のさなかに描かれた作品は、「日常」というものを見直す機運が高まる中、まさに日々の暮らしの一隅を描き出したものだ。個展のタイトルである「小さな光」は、工場の夜間照明、水面に映る陽射しなどの様々な光が描かれた作品を指すと同時に、コロナ禍や戦争によって社会に落とされる陰に対して、日々の暮らしに眼差しを向けることが希望になるという意思表示とも理解できる。本展は、現時点での山口の関心事が示された集大成的なものだったといえるだろう。

展示後、本展の記録として作成された本には2種類の装丁が用意された。ひとつは通常版である紙の装丁が施されたもの、そしてもうひとつの特装版は、展示作品のひとつであった無数の星々を描いた作品を解体し、切り取った断片を表紙・裏表紙に仕立てたものである。作家としては自身の作品を失うことになるが、作品に描かれた文字通りの「小さな光」を鑑賞者の手元に届けることで展示を締めくくったことになる。このことからは、山口にとって物理的に“そこにあること”、“見ること”、“触れること”といった身体性を伴うことの重要性を感じさせた。画家自身の視覚経験を基にしたその絵画は、私たち鑑賞者に見られることで画家の眼差しから離れ、各々が日常の中で目にする風景と共鳴する。日常の一隅を描く山口の絵画は、私たちの日常を別の角度から照射する光でもある。

 

 

 

[i] 山口幸士 個展「小さな光」 会期:2022年4月4月30日~5月4日 会場:神奈川県川崎市川崎区白石町  リサイクル工場内

[ii] 竹村卓 “山口幸士 Koji Yamaguchi Vol.1” taqueria magazine 2021年3月4日更新

https://www.taqueria.jp/post/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%B9%B8%E5%A3%AB-koji-yamaguchi

taqueria magazine(2022年11月26日アクセス)

[iii] 竹村卓 “山口幸士 Koji Yamaguchi Vol.1” taqueria magazine 2021年3月8日更新https://www.taqueria.jp/post/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%B9%B8%E5%A3%AB-koji-yamaguchi-vol-2 (2022年11月26日アクセス)

[iv] 同上

[v] 山口幸士 『Koji yamaguchi solo exhibition 小さな光』 Ping Paling出版 2022年 巻末に掲載されている細野晃太郎氏による文章に記述がある  

[vi] ヴァルター・ベンヤミン 著 今村仁司 他 訳『パサージュ論 3 都市の遊歩者』 岩波書店 1994 

[vii] 美術手帖online “Exhibition” 2022年4月更新 https://bijututecho.com/exhibitions/9893(2022年11月27日アクセス)

[viii] 山口幸士のインスタグラムに掲載された本人の文章に、「今回の展示場所である川崎南部の工業地帯は、かつては軍需産業を担い重工業を中心に日本の産業を支えてきました。しかし公害や各地から集まってきた労働者に対する人種差別などの問題も多く、対策を求める市民運動も行われてきた背景があります。(中略)工場での展示をきっかけにこれまで知らなかったホームタウンの歴史を知れたことは自分にとってとても意味のあることでした。」と掲載されている。

[ix]  美術手帖online “Exhibition” 2022年4月更新 https://bijututecho.com/exhibitions/9893(2022年11月27日アクセス)

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蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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