【活動記録:2008】第2回「ASLSP/夜会議」のレポート(2008年3月19日)

※蜘蛛と箒の前身となるASPSLの活動記録です。

3月19日夜、ASLSP・夜会議が国立駅近くにあるお店ロージナ茶房にて行われました。このお店は50年以上の歴史を持っており、ここでは今回のような会や学生たちが集い話し合われる場所として古くから利用されている場所です。店内の雰囲気もよく、リーズナブルで料理もおいしいことから国立・国分寺周辺・界隈の人々にはそれなりに知られている場所です。

 今回のテーマは、東京都現代美術館(MOT)で2008年2月9日~4月13日の期間開催されている展覧会[川俣正〔通路〕]と[MOTアニュアル2008 解きほぐすとき]についてでした。
 このテーマをめぐって約15人の人々が集い、さまざまな角度から議論されていきました。[MOTアニュアル2008 解きほぐすとき]に出品されている手塚愛子さんにも参加していただけたので、展覧会が作り出される現場や作品制作におけるさまざまな状況や諸問題の話を聞 くこともでき、大変有意義な場となりました。また宗教社会学者の方もいらっしゃいましたので、作品・展示・作家について美術的な観点・言説と社会学的な観 点・言説の双方から言及、議論がなされていったのがとても印象的でした。

 会の進行では、まず[川俣正〔通路〕]について話されました。そこでは以下のような事柄が中心的に話されたと思います。

・今日のように社会格差が深刻化し、日本/世界における資本主義の形態が変わりつつある中で、川俣正の路上生活(者)に対する作品や考えはどのように捉えるべきであるか。
・通路とは、迷路などとは違いそれ自体が目的になることはない。AからBへの移行や目的とは何であったのか。また通路が、パッサージュにおける意味でだと したら、川俣が今回作り出しているベニヤのパーテションとコンテンツの関係はどうであったのか。川俣が作り出したものは本当に「通路」といえるのかどう か。
・川俣が美術館で作品発表することの意味とはなにか。
・作品/コンセプトがパブリックなものとして開かれて部分と、アートレスなどからうかがえる閉じている(孤立・疎外的な)部分、またプロジェクト運営時に おける他者(作品の鑑賞者や美術館のスタッフ)とのコミュニケーションあり方をめぐり、総合的な川俣の作家性についての分析と議論。

[MOTアニュアル2008 解きほぐすとき]については、展覧会タイトルや学芸員さんの文章を考察し、個々の作家について検討していく形で議論がなされました。

≪彦坂敏昭≫
・版画的な技法とレイヤーの問題について。
・強烈な赤い色彩の作品とモノクロの作品について。
・展示、サイズ、出品数について。
≪高橋万里子≫
・幼い頃遊んだリカちゃん人形の写真と、母親のポートレート写真とのつながりとはいったいなんであるのか。
・ルフ、リヒター、シュトゥルート、ボルタンスキー、オノデラユキなどの作品との対比、検証。
・写真のサイズについて。
≪金氏徹平≫
・作品で具体物を使用し、それらの事物が持っている固有のコンテクストを剥奪しつなげることについて、PC的な側面と技術的な側面における検証と議論。
・出品されている個々の作品を比較検討し、作家の可能性の中心はどこにあるのかについて。
・作品で作り出されている特徴的な形体感について。
≪手塚愛子≫
・作家がこれまで既製品の布を使用してきたことと、今回おこなった作家自らが発注し作られた布を作品に使用することの違い・展開について。
・装飾における複数の起源について。ゴットフリート・ゼンパーによる幾何学文様の織物技術起源説とアロイス・リーグルの「芸術意志 (Kunstwollen)」(芸術意志は技術にも図像表現にも還元できず、むしろこれらは先行する装飾衝動に由来する。)というような人類史的な起源説 の違いと、手塚の装飾・文様・織物におけるの問題意識の検証。(参照として石岡良治「装飾と反復」
・作品における文様の使用について。
≪立花文穂≫
・版の使用方法をめぐって。
・美術作家とデザイナーの違いとはなにかについて。宇川直宏や田中偉一郎についての議論もなされる。彼らと立花文穂の相違点/共通点についても話がなされた。
・技術的な問題と主題の関係性について。作家が作品制作/発表に持つべきリスクとは何かについて。

 以上が今回話された概要のレポートです。ただこのレポートはあくまで僕個人の視点と記憶からまとめたものです。会は場所を移動したりもして夜の7時から次の日の朝5時まで行われ、話はこのレポートでは触れていない部分、もしくは異なる形でも多く語られました。

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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