「写真という逃走経路(2)」(2009)

1回目に引き続き今回もシャロン・ロックハート(Sharon Lockhart)の作品を分析していきたいと思います。ここでは、《Lunch Break installation, “Duane Hanson: Sculptures of Life,” 14 December 2002 – 23 February 2003, Scottish National Gallery of Modern Art》という作品を取り上げます。この作品は上に掲載した写真の他に3枚、計4枚で構成した写真です。他の画像はこちらで見られます。
 この作品は、一見ギャラリー空間で行ったパフォーマンス作品?と思われるかもしれませんが、そうではなく写真の作品です。しかも、良く見るとこの写真に写っている人物のなかには、作られた彫刻が混じっています。タイトルを見てみましょう。
Lunch Break installation,”Duane Hanson: Sculptures of Life,” と書いてあります。デュアン・ハンソン(Duane Hanson)とは、ハイパーリアリズムとポップアートの文脈に位置づけられる彫刻家です。太ったいかつい白人女性が、スーパーマーケットのカートにいっぱいの商品を入れて歩いている様を超リアルに作っている彫刻などは、昔の美術手帖などで目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。
 彼の作品をコンセプチュアル(ポップからシュミレーショニズムへ)に継承しているのがチャールズ・レイ(Charles Ray)であり、ナラティブな感覚と現代における人間彫刻という方面から継承しているのがロン・ミュエク(Ron Mueck)と言えます。
 それにしても、リアルな彫刻なので写真に撮られるとリアルさがいっそう増すように思われます。このように写真を撮るとどれが彫刻でどれが人間か、一見したところではわからないほどです。下の写真が、Duane Hansonの作品写真です。この写真が作り出すリアリティの性質をうまく利用したのが杉本博司であり、美術館などでの作品の展示や管理を写真のなかに組み込んだのが、ルイーズ・ローラー(Louise Lawler)やトーマス・シュトゥルート(Thomas Struth)ですが、彼らの文脈がこの写真には当然組み込まれています。

この作品写真と比べるとわかると思いますが、3人の労働者の彫刻作品です。つまりそれ以外の人間は、彫刻ではなく本物の人間だとわかります。二つを比べれば、ロックハートの写真ではスタッフが《Lunch Break》の作品を展示のためにセッティングしている状況だとわかります。
 4枚の写真を見ていくと、まるで間違い探しのように物の移動や配置の変化を見ることができ、写真と写真の間の時間の幅や、時系列的なものを見るものに想定させます。前回、ロックハートの90年代の作品は、フレーミングの設定によって「見えるもの」と「見えないもの」の関係を作り出していく手法が重要だったと書きましたが、この作品や近作では、フレーミングの設定で生まれる不確定な要素や効果は抑圧され、空間的な設定よりも時間の問題として写真の内と外の関係を導き出すようになっています。
 ただ、写真によって完成までの順序を読み解くということに、この作品は意味を持つわけではありません。その意味でロックハートの作品は、必ずしも《Lunch Break》のセッティングの完成と見比べなくとも面白い、むしろ見比べない方が面白いのです。無論ネタバレしたら面白さが消えるという類の問題ではありませんが、一つの完成像に向かって順番付けをしても作品の可能性を取りこぼしてしまいます。
 むしろ展示の完成像がなければこの作品の順番はそれほど明確なものではなく、また、スタッフの所作は少し違ったものとして見えてきます。
 ロックハートがこの作品での一番の目論みとは、スタッフの所作と彫刻である労働者の所作の関係によって、《Lunch Break》にもう一つのコンテクストを入れ込むことでしょう。そのことによって、本来《Lunch Break》が持っている作品の批評性をより強いものとして、さらに現在という時間軸を導入させようとしたのだと思います。

 《Lunch Break》では、労働者が文字通り昼休みとしておのおのくつろいでいる情景になっています。作品の構成としては、きわめて古典的な三角形の構図が作り出しています。しかし人物は、おのおのがそれぞれの時間に没入しているので関係は切り離されており、3人の関係においてヒエラルキーは存在していません。むしろ、3人の状況はエドワード・ホッパーにも通じるような現代社会の孤独とメランコリーな感覚が見えます。
 ハンソンの彫刻は、しばしば警備員や清掃係など普段透明な存在として扱われるような人間を作品化するという政治的な視点を持っています。この作品もそのような文脈を持っていて、3人の労働者のくつろいだ態度というのも社会的に見られないという意識からの所作として捉えることができます。
 ロックハートの作品では、まず最初に労働者と美術館のスタッフの身体的なイメージの違いが強く目に入ってくる。日に焼け薄汚れた格好をしているたくましい身体の労働者と、色白く清潔な服を着て丁寧で慎重な働きを見せているスタッフの印象は、誰でも気がつく大きな差異として現れている。どれが本当の人間なのかを知るよりも印象の違いが先に見えてくるはずです。
 美術館のスタッフは、これが美術作品であるがゆえに丁寧で慎重な扱いをしているわけですが、ここでは彫刻である労働者との関係で彼らの労働が見えてきます。つまり展示という目的よりも、彫刻である労働者のための労働として見えてくる。ここにはカリカチュア的なユーモアが含まれています。普段着の格好をしているスタッフが働き、いかにも労働者の風体をしている人物が休んでいるという反転が起こっており、階級的なものの反転も感じる。また、壁の前において基本的に正面性の強いハンソンの作品を、ここでは多方向から解体し、骨組みや木材の彫刻的な面白さをより引き出すことによって、ロックハートの写真は古典的な退行を回避しています。つまり批評性を弱めることなく、ハンソンの作品の現代的な造形意識を組み込んでいる。
 ロックハートは、美術館が作品を管理する状況を写真に撮ることによって、《Lunch Break》が単に見世物としてのレベルだけではなく、管理や展示というシステムを利用して、社会的な階級意識の反転を可視化させる状況を提示しています。

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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