「写真という逃走経路(10)」(2010)

 アーヴィング・ペン(Irving Penn)にとって写真の関心は非常に一貫しています。それは写真が対象から引き出される/作り出されるテクスチャーとフォルムに関わる問題です。このことは写真が表層的なものであり、一つの視点が凝固したものであるという前提に起因してますが、その前提を扱いながらも、絶えずその性質にディアレクティクな眼差しを彼の写真は投げかけています。
 ペンの写真では、テクスチャーの過剰(表面の突出)、フォルムの変形(形態の断片化、ボリュームの消失、対象の隠蔽)が強く見られ、対象(モデル)が持っている実在的な存在感は剥奪されます。しかしと同時に対象(モデル)の魂もしくは存在の所在を観る者に投げかける働きを作っています。ペンは、超絶的な技術/アイデアによって、生命ある対象(モデル)が物と化していくグラデーションを一枚の写真で作り出すということを見事に描き出します(《Girl in Bed》、《Chanel Sequined Suit》)。彼の衣服に対する関心というものも一貫してそういうものとして置かれています。
 生きている人間のなかに幽霊を感じさせる。生命ある身体の中に死体としての想像力を引き起こさせる。もしくは死体(物)の中に死を感じさせる。ペンの眼差しには常にそのような視座が含まれています。
 ペンの写真は、対象の破壊、と同時に対象の内在性を引き出す運動を作り出している。そこには欠如を明らかにすることによって、触知できない対象をつかみ取ろうとしている。その意味でペンの写真は、対象が人間であっても物であっても彼の眼差しはいっさい変わるところがありません。
 彼の写真を見ていくと、いかにペンが美術的な問題意識や深い造詣を有していたかがわかります。ピカソ、モランディ、ティツィアーノ、セザンヌ、抽象表現主義、未来派、アール・ヌーボーなどの解釈が彼の写真の中に入っています。そのなかでもピカソのキュビズム的な問題意識とは共通する部分が強くあります。ペンの試みは絵画では十分に発揮されない写真の特性を引き出したものであり、その部分においてピカソに決して引けをとらない非常にシャープな回答をわれわれに突きつけています。

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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