【活動記録:2014】第6回 「ASLSP/夜会議」(2014年3月29日)

※蜘蛛と箒の前身となるASPSLの活動記録です。

第6回 ASLSP/夜会議|よそ者としての芸術
2014.5.2
森田浩彰、木原進、高嶋晋一、沢山遼、狩野愛、勝俣涼、當眞未季
司会:石川卓磨

――はじめに
 今回は、「よそ者」と芸術をテーマにして討議を行なった。よそ者とは、その土地で生まれたものではなく、よそから新たに来た者のことだ。ゲオルク・ジンメルの「よそ者についての補論」(1908)では、「よそ者」についての社会的な機能や関係性の分析がなされている。この論文では、「よそ者」を、ある社会にたいして全く無関係で関与しない者や、今日来て明日そこを去るような者のことではなく、今日ここに来て、明日もその場に留まる者に限定して分析がされている。この分析は(ジンメル自身がユダヤ人であるということもあり)ヨーロッパで生活しているユダヤ人の商人を想定している。
 ただ「よそ者についての補論」を読んでみると、ここでの「よそ者」分析は、かなりの程度で現代美術のアーティストの諸関係にも置き換えが可能であるように思えた。そして、今回の議題を進めるにあたっての前提として、「よそ者についての補論」を利用したので、論点を二つだけとりあげておく。

  1. 「よそ者」の特性に中立性や客観性があるということだ。例えば、訴訟を担当する裁判官は、事件の当事者たちが属する共同体や関係性を持っていないこと、つまりよそ者であることが条件になっている。
     裁判・訴訟に関わる概念で当事者主義というものがある。この言葉は、訴訟手続きにおいて、当事者と裁判所のどちらに主導権を置くかについての概念である。(当事者主義は、当事者に主導権を持たせようとするものであるのに対して、裁判所に主導権を持たせようとするのが職権主義)当事者主義という言葉は、英語ではadversary systemである。このadversaryという単語は、敵、敵対者、対抗者などの意味であり、ここでの「当事者」とは、ある敵対性を持っている二者の関係を示していることがわかる。だから、adversary systemという言葉には、当事者と、その対立関係の外部にいる立場である裁判所の関係が、わかりやすく示されている。

 この当事者ではない外部の人間の判断が効果的に働くケースは、裁判所だけに限らない。商人やアーティストなどもまたそのような「よそ者」性の立場によって、中立的な判断を可能にする場合がある。ただ、ユダヤ人の商人やアーティストは、裁判官のように、当事者たちや特定の社会との関係のあり方が、制度に則っているわけではなく、中立や客観性はもっと曖昧なものである。「よそ者」が、絶対的な客観性や中立性を保持しているわけではなく、社会のなかで関与と無関与の中間に存在している、とジンメルは語っている。

  1. ある共同体の内部に属する者にとって、外部の人間は、よそ者であるからこそ親密になることができる、秘め事を話すことができる、ということである。その親密な関係とは、内側と外側の線引きがあるからこそ機能するもので、ジンメルはそれを「近さと遠さの統合」と説明している。国外や特定の地域で芸術活動を行なう場合、この「近さと遠さの統合」はアーティストの視点を構築する上で外すことのできない要素である。
     ジンメルはこの小論で、ヨーロッパの社会のなかで、なぜユダヤ人が社会的に成功し、と同時に、社会的な疎外から逃れられないのか、その宿命的な要因を簡潔に説明している。もちろん、ユダヤ人の疎外や商人の社会的な役割は、現代美術のアーティストと共通する部分があっても、同じであるわけではない。では、アーティストにおける「よそ者」性とはどのようなものなのか、また現在の状況を考える上で、「よそ者」性からはどのようなことを検討することができるのか。
     今回の会議では、日本でも頻繁に行なわれるようになった地域社会での芸術祭や、グローバルに展開するアーティストの活動、東日本大震災や福島第一原子力発電所事故後に、社会や政治的な問題と芸術の関わりが強く示す美術の状況など、非常にセンシティブな問題に触れる議論が行なわれた。――地域社会での芸術活動とインフラの設計
     初めに、今回会議に参加した木原と森田がそれぞれ運営スタッフ、アーティストとして関わった、岡﨑乾二郎と地域住民が中心となって恊働して行なわれた『灰塚アースワークプロジェクト』(1993−)などを実例としてあげながら、芸術活動と直接的な関係を持たずに成立している地域社会における芸術プロジェクトについての検討が進められた。
     日常的には芸術作品や芸術家との接点を持たずに形成されている地域社会で、芸術プロジェクトを行なう場合、地域の側から「芸術」の有用性が求められるまた、地元住民から、芸術活動にたいする拒否に近い反応が起るときもある。ここには、必然的な難しさがあるといっていい。例えば、アースワークやコンセプチュアル・アートなどで考えられてきた作品=環境の構築と、農業や里山などで習慣的に染み付いている環境管理の考え方の決定的なズレ、あるいは地元住民や行政との信頼関係の構築の過程にある困難など多くのケースが指摘された。そのうえで、芸術の実践の可能性は、どのようなものであるべきかが問われることになった。
     ここではまず、地域社会での芸術プロジェクトの実践のあり方として、二つのタイプがあげられた。
     一つは〈祭りとしての芸術〉であり、もう一つは〈インフラの設計としての芸術〉である。前者は、非日常を作りだす象徴性としての「芸術」であり、後者は、地域社会で自然化され、意識化されていない下部構造にたいして技術的な介入や構築を行なう「芸術」といえるだろう(発明という観点の導入)。この二つのタイプの芸術プロジェクトでは、地域社会と「芸術」の理解や折り合いのさせ方の意味が異なることが指摘された。地域での芸術プロジェクトが、観客客を集めるとしても、一方的で一過性になってしまうケースがあるのにたいして、芸術的な思考や実践を(可能性や潜在的なものであるとしても)住民や社会のなかに残すことの重要性、そして「芸術」という言葉を抜きにして、相手に伝えることのできる道具主義的な芸術(史)の可能性が議論されたことは、重要であると思った。 ――敵対性をあぶり出すインフラ
     次に、芸術とインフラの関係を別の側面から考えるものとして、サンティアゴ・シエラの《21 Anthropometric Modules made from Human Faeces by the People of Sulabh International, India》(2007が挙げられた。
     ここでは、クレア・ビショップの「敵対と関係性の美学」(2004)での議論を踏まえながら、シエラが自らの活動では「何も変えることができない」という言明をしていることに関する議論が中心となった。
     シエラの作品は、社会のなかで見えないものとされている労働搾取やインフラ構造などを、露悪的な形を強調し暴露する批評性を持っている。それは観客にとてもショッキングな感情を引き出す者であるにもかかわらず、なぜ彼は自分の作品「何も変えることができない」と考えているのか。
     しかし、シエラの作品が作りだす敵対性は、刺激に満ちており、観客にショックを与えるが、作品で行なわれる操作自体は明快であり、作品が観客にどのような効果を与えるか、どのような反応が起るかは予測可能なものになっている。つまり出来レースなのであり、ここに発明の観点はない。
     シエラの作品の態度は、コンセプチュアル・アートの伝統を継承している側面として読むことが可能であり、作品のプレゼンテーションの仕方にも、反映されている。プロセスや余分な情報を排除し、結果だけを簡素な方法で提示するやり方は、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの方法を踏襲している。しかし、この結果が先取りされている作品に批評的なアクチュアリティがあるといえるのかという疑問も投げかけられた。その意味においては、「何も変えることができない」は、開き直りの態度として読むこともできる。
     それにたいして、「何も変えることができない」という言明はそのまま受け入れるべきものではなく、この発言の効果自体一つのパフォーマティブなものとして考える必要があるという指摘がされた。ここでは、シエラの露悪的な労働搾取や資本主義の構造の暴露には、予定調和的な図式であっても、そこに含まれる暴力性の強度は消えないということだったはずである。
     また、もう一つの議論の方向性として、シエラの「何も変えることができない」という態度は、その前に語られた地域社会での芸術プロジェクトにおける有用性との比較が行なわれた。シエラの言明は、ポリティカル・コレクトネスや、有用性の要請から、距離を取っている。シエラが地元住民に協力や合意を求める方法は、基本的に説明などの話し合いによるものではなく、雇用者と労働者の関係と同じで金銭的合意にある。芸術が、社会から求められる有用性を斥けること、無関係性を貫くことの意義についての意見が出された。 ――ドキュメンタリー映画における演出と映像の位置
     シエラは、敵対性の構造を露にするときに、どちらか片方の立場に加担することなく、中立的でメタ的な立場を確保している。アーティストがメタ的な立場を取ることは、しばしば批判される。なぜならば、なぜアーティストだけがメタ的なポジションを取れるのかという問題と、そしてそこに巻き込まれる現象や人間の労働が、作品に貢献するものとして搾取されることになるからだ。しかし、一方で、メタ的な立場を取らないかぎり作品化できない対象というものは確かにある。

     そこで、この制作者のメタ的/中立的な立場を検討するにあたり、現在シアター・イメージフォーラムなどで上映されているドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』(2012についての検討がされた。ここでは、主に三つのことが中心になっていたと思う。1. 加害者たちに同じ虐殺のシーンを、何度も繰り返し再現させることで、初めは笑いながら喜んで再現していたのに、だんだん殺人の経験が、加害者に重くのしかかってくることについてだ。出演者に再現のフィードバックをしつこく促しているのが、この映画の特徴的なポイントになっている。この再現の反復と、それを映像で確認することでの反復から生まれる反省性は、パフォーマンスなど、映画やドキュメンタリーなどのジャンルの枠を越えて、考察することが可能な問題を含んでいるだろう。2. 加害者=出演者のあいだで共有されるインドネシアの国内的な歴史と、それが国際的な場で発表されるときの認識の非対称性について。出演者=加害者と撮影者では、作品が発表される市場や観客の想定が異なっている。加害者は、そのズレを理解していないがゆえに、自分たちの歴史の闇を積極的に国際社会に暴露してしまう。出演者は、不思議なほどにナチズムやスターリニズムよりも、自らの残虐性があることを誇っている。それは、世界的に考えれば、罪の重さを無防備に暴露し、犯罪行為を自ら証明していることになる。しかし、恐怖政治の歴史が前提になっているインドネシア政府の人間たちにとっては、反対勢力を押さえつけるために、恐怖を与えることはプロパガンダとして必要なのである。

    3.フィクションとドキュメンタリーの境界線について。カメラ/監督の存在から受ける被写体の影響について。被写体となる人間が、カメラの存在を意識することで実質的な演出が行なわれ、自然な振る舞いや発言に変化が出てしまうということがある。また、監督の発言や質問によって、被写体の反応が意識的であれ、無意識的であれ誘導や介入が行なわれてしまうことについて。では、記録によって示される歴史的事実と、フィクションによって示される歴史的な事実のどちらが歴史に忠実といえるのか、という問いも出された。

    ――歴史的事実とフィクション
     次に、近年映画作品などで増加している、実話をもとにしたフィクション作品についての議論がなされた。例えば、19世紀中頃のアメリカで、奴隷として売られた自由黒人の手記を原作としたスティーヴ・マックイーン監督の『それでも夜は明ける』(2013。アフガニスタン紛争での、アメリカ海軍特殊部隊ネイビー・シールズによるレッド・ウィング作戦について、ただ一人生還を果たした元隊員が書いた手記を原作としたピーター・バーグ監督の『ローン・サバイバー』(2013。茨木県で1999年に起きた連続殺人事件について、死刑囚が告発し「新潮45」編集部が執筆したルポルタージュが元になっている白石和彌監督の『凶悪』(2013、など。それらの映画は、その規模は各々異なるものの、すべて具体的あるいは組織的な暴力が全面化した極限状況を描いており、いずれも力作で高い評価を受けている。しかし、同じフィクション作品(劇映画)であっても、「事実をベースにしている」というインフォメーションの有無によって、鑑賞者の説得や感情移入のあり方が当然大きく変化する。このメタレベルのインフォメーションがもたらす効果とは何なのか? それは、実際の事実にどれほど忠実であるか否かにかかわらず、「こんな凄惨なことが、実際に起こったんだ」という作品外部との接続があらかじめ確保されていることでより強固になるような「事実性」である。このような事実性に依拠することは、かえって「現実」というものの一元化できない不確かさや、それを再現しているという意味での現実性を忘却させることにもなるのではないか。あるいは現在、作り手も鑑賞者も、作品理解において、フィクションに内在するリアリティというものを捉える力を失いつつあるのではないのか、という問題提起がなされた。 そこから「現実」を追認するような形でのフィクションと対置するものとして、作品の評価や説得力によって、外の現実に影響を与えてしまった事例があげられた。
     ここで考えられることは、作品の評価と、作品の外にある現実への影響は、分けて考えることができるのか。さらに、道徳的なものから切り離した形で成立する芸術を擁護することは、どの程度、そしてどのように可能なのかという問題だった。
     ここで例としてあがったのは武田泰淳の『ひかりごけ』(1964「ひかりごけ事件」だった。「ひかりごけ事件」とは、1944年5月、太平洋戦争中である日本陸軍の微用船が、知床岬沖で難破し、極寒で、食料もない極限状態に置かれた船長が、仲間の船員を人食して生き延びた事件である。ここで船長は、すでに死んでいた船員を食べ、船員を殺してはいないのだが、小説のなかでは、船長がまだ生きている人間を殺して食べたことになっている。(作中で泰淳は、人を殺すことと人の肉を食べることという二つの行為の連関を分析し、「一、単なる殺人。二、人肉を喰う目的でやる殺人。三、喰う目的でやった殺人のあと、人肉は食べない。四、喰う目的でやった殺人のあと、人肉を食べる。五、殺人はやらないで、自然死の人肉を食べる」と分類して、そこになぜ罪の軽重の差が出てくるのかを問うている)。武田泰淳はあくまでこの作品はノンフィクション作品ではなく、事件をモチーフにした小説として捉えているが、船長は、この小説が書かれたことで、事実とは異なる社会的な烙印を押されてしまう。この作品の影響力は、道徳的な観点からすると容認することが難しいが、『ひかりごけ』では、「ひかりごけ事件」でも現れてきていないような人間の実存に関わる潜在的なテーマがあぶり出され、戯曲と随筆など異なる形式によって構成されていることなどによって、戦後文学の最高の実験作として位置づけられている。
     作品自体の評価と社会的な影響力、道徳的な問題と芸術的な可能性を秤にかけることは簡単ではないにしても、ここで議論されたことは、現在でもさまざまなケースで現れている汎用性のある問題である。また、作品の評価と社会的な影響についての社会的な判断も、時代や場所によって違いがあり、安定した認識ではないということについても考えさせられた。

    ――制作主体とカメラの二重性
     『アクト・オブ・キリング』からの議論の展開として、2000年代以降、美術館などで発表されるケースが増えてきた映像文化人類学から作りだされる映像作品についての検討が行なわれた。
     映像文化人類学とは、グレゴリー・ベイトソンとマーガレット・ミードが、バリ島でのフィールドワークで積極的に写真を利用したことに代表されるもので、フィールドワークの記録やレポートを映画や写真などを使用することで、記述者の主体から自律した中立的な記録を図る学問分野だ。このような映像資料が、美術館のなかで鑑賞されるとき、学術的な場で使用されるのとは別の問題を孕むことになる。これらの映像が、記録の中立性を強調しているとしても、現代美術の市場や制度のなかに持ち込まれる時、記録的な資料としての映像と、作品としての映像という二重性を帯びることになる。また当然、制作主体においてもアーティストと学者としての二重所属の問題が現れる。現代美術の場での流通が設定される以上、映像や制作主体には、単に学術的である以上に、作家性や、映像の美的な側面、展示、上映方法など、現代美術の固有の合意形成や手続きが想定されることになる。映像文化人類学の調査が、美術館やギャラリーなどに展示する想定があって進められる場合、この二重性は、さらに強いものになる。学術的な目的と作品化の目的のズレは、はたして誠実、あるいは健全なものといえるのか。この二重性は、そもそも主体の判断に規定されている者ではなく、カメラという道具に備わっている特性だといえる。カメラが作りだす映像には、記録という側面とは別にどうしても美学的な問題を含んでいるからだ。
     これにたいして次のような意見も提出された。美学的な問題を含むということだけで、作品を批判できるのか、さらに技術的な問題と倫理的な問題は分けて考えることが可能であるのか、というところである。そこから、藤井光の『ドキュメンタリー「プロジェクトFUKUSHIMA!」』(2012や、森達也の311』(2011)など具体的な事例を巡って複数の異なる意見が提示された。

    ――アーティストによる歴史のリプレゼンテーションについて
     現代美術のアートワールドもグローバル化が進行し、国際的に活躍するアーティストや国際展示も増加し続けている。それに伴い、国境を跨ぎ、飛び回って活躍するアーティストが、作品のテーマとして現地のサイトスペシフィックな文脈にアクセスし、その歴史的な出来事をリプレゼンテーションする作品も増えてきている。
     アーティストは、社会から忘却や否認された歴史を、歴史からこぼれ落ちるマイナーな声を、取り込み作品化する。このような活動は、社会の内部にいる人間にはタブー視されているような歴史の問題を顕在化する、あるいはドメスティックなレベルに留まっている問題を国際的にアピールするきっかけを持つことができるものである。一方で、よそからやってきて滞在期間が過ぎればそこを去っていくアーティストが、現地ではもっと複雑なレベルで動かされている歴史や共同体の問題を、短絡的にスペクタクル化することには欺瞞含まれるケースも多くあり、作家の実績に回収されるという意味で、搾取や権力的な構造の働きも存在する。
     ここでは、ジェレミー・デラーの《オルグレーヴの闘い》(2001や、クシュシトフ・ウディチコの《プロジェクション・イン・ヒロシマ》(1999『土湯アラフドアートアニュアル2013』(2013、水戸芸術館の3・11とアーティスト: 進行形の記録』(2012、アルフレッド・ジャーの《生ましめんかな(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)》(2013などの事例が取り上げられた。さまざまな方向から、ポジティブな側面とネガティブな側面があげられ、議論が行なわれた。
     また、アーティストがあまりに搾取や後ろめたさを気にすることで、自主規制ばかりが強まることへの危険性が指摘され、歴史の問題を仰々しく深刻さを装って、洗練されたスペクタクルで、表象不可能性をプレゼンテーションするモニュメンタルなアーティストの活動ではなく、東日本大震災後に、目の前で起きている緊急性を持った事態、政治や社会的問題に、ピンポイントでアクセスできるようなアーティストのフレキシブルな能力が、いくつかの事例とともに提出された。このようなピンポイントに働きかける活動や、アーティストが匿名で社会活動を行うことの可能性も議論されたことも重要だと思った。

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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