批評ゼミ通信講座|選抜評論:アントニオ・ロペス≪マルメロの木≫を見つめて/SASAKI YUKIKO

アントニオ・ロペス≪マルメロの木≫を見つめて
SASAKI YUKIKO

 マルメロがどんなものか知らなかった頃、林檎でも梨でもなく日本で見ることのない果物に憧れを抱いたまま、私は初めて≪マルメロの木≫と対面した。

 マルメロの背景は明るい灰色で、大雑把に塗られている。画面の真ん中に木の幹が一本すっと配され、そこから枝々が延び、たわわに実が生り葉が茂る。写実描写はなく、実や葉の形は所々あいまいで色面のみで表されている。色面は背景の灰色に溶け込みながらカンヴァスを覆う。

 ここで目につくのは、描かれる対象とともにある、何かの印だ。目盛りのような短く白い横線が、絵筆で無数に付けられている。マルメロの実・葉・枝の位置や、各々がどのように絡み合っているかを、一つひとつ確かめ印を付けているのだ。自分の立ち位置は、足先の地面に釘を差して決め対象から目を離さない。画家はマルメロそのものにもマーキングをしていているが、実はだんだんと熟して大きくなり重みを増し、枝はさらに垂れ下がる。画面に付けられた印の位置が日々変わるので、絵の構図も変わり、新たに印を付ける。1992年の映画「マルメロの陽光」では、画家がこのマルメロを1か月間にわたり制作する様子が撮影された。映画では、制作を始めた暑い時期からとうとう秋を迎え、実が地面に落ちる様子も映し出される。作品は未完である。

 私はこの印に、心が惹かれてしまう。対象と過ごす時間を大切にした画家を思うと、ここに付けられた印たちが、画面のなかで必要なものであると気づく。印は、≪マルメロの木≫の作品の魅力を一層引き立てている。

 また、作品の薄黄色と黄緑色の爽やかな色彩や、薄塗りの背景、時々塗り残されたキャンバス地の白など、観ていて気分がぱっと明るくなり、マルメロの薫りが画面の向こうから流れてくるようだ。印の絵具の白(黒でも赤でもない)はこの画面全体と調和しており、マルメロも印も同等に存在する要素なのだと実感する。

 私は作品を鑑賞しながらマルメロに寄り添う画家の姿を想像し、画家自身にも惹かれる。彼は絵画を仕上げたかったのではない。対象は彼の目に美しく映っていただろうが、その美しさを描き出すことに関心はない。マルメロの木の前に自分の身をじっくりと置き、気が散ることはない。彼とマルメロにしかわからない対話の時間が静かに流れる。マルメロを見つめる彼を想い、私自身も静かな時間を過ごしている。


アントニオ・ロペス≪マルメロの木≫1990年、油彩・キャンバス、105×119.5㎝
『現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス展』2013年 株式会社美術出版社 より転載

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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