「写真という逃走経路(4)」(2009)
「空の測定不可能性と偏在性、そして雲の分析不可能な表面性は、空や雲といったものを透視図法的秩序においては根底的に不可知なものに化す」
「ロザリンド・クラウス「グリッド、/雲/、ディテイール」
第4回目は、スティーブン・ショア(Stephen Shore)の作品について分析してみたいと思います。ショアは、それまで芸術の領域では認められなかったカラー写真の地位を飛躍的に引き上げた代表的な写真家の一人です。そのため彼は、ウィリアム・エグルストン(William Eggleston)などとならび、ニュー・カラーの代表的な作家として位置づけられています。
彼はアメリカの典型的な田舎の風景を撮った写真家として語られがちですが、彼の存在の大きさはそのような認識に留まりません。アメリカの風景が持っている異様さとかそういう問題は彼の写真を評価するうえではわかりやすいかも知れませんが、彼が示している可能性を何も説明したことになりません。むしろ、そのような認識だと彼の可能性を取りこぼしてしまう危険性がある。
彼の写真は、絵画的な認識の可能性を写真に置き換える、その視点が一貫して見られます。それは絵画の中で途絶えてしまった認識を写真が継続し、継承する。その上で見えてくる写真という問題を見つめなおす。これは伝統的な問題ですが、モノクロ写真よりも現実の認識により近いカラー写真であるからこそ可能となる問題を含んでいます。カラーになることによって生まれるエフェクト(現実の風景が写真に落とし込まれることによって消える/生まれる何か)とは、いったいどのようなリアリティとフィクションを生み出すのか。その現実と写真の関係は、モノクロ写真ではありえなかった新しいパラダイムを提出した。今では、完全に普及したと問題意識ですが、ショアはその問いに対するパイオニアでした。そして、彼の問題意識を継承している作家はしばしばトリッキーにしてしまいますが、彼の作品はあまりトリッキーな印象を持ちません。
そういった中で彼が取り組んだ課題はいくつかあります。ここでは、僕がいちばん最初にこの作家で興味を持った部分である
「雲と空」について考えていきたいと思います。
《Victoria Ave. & Albert St., Regina,Sasketchewan》という作品では、雲と空が今まで見たこともなかったような異様な感覚を持っています。それは雲が不思議なのではなく、天候がめずらしいわけでもありません。この写真における雲/空の現れ方が異様な感じを受けるのです。このまぶしい日差しを経験したことがないわけではないのにそのこともまるで異世界のような感覚を持っています。
これはモノクロ写真では表すことのできない感覚です。もちろん、と同時にこの写真の問題は、地平と空の無関係を顕わにした最も有名な写真、ギュスターヴ・ル・グレイ(Gustave Le Gray)の《The Great Wave》(海と空の部分が別々に撮影され合成された写真である)と共通した問題です。
それはどういうことか、下のモノクロにした写真を見てください。
このモノクロ写真を見る、カラー写真で感じた感覚がまったくと言っていいほど消えています。白黒の写真にした瞬間、安定したどこにでもある日常的な町の風景に見えます。この写真がカラーであることがいかに重要なのかを理解することができます。明るく鮮やかで目に飛び込んでくる空の青は、淡いグレーへと置き換えられ空間的にはすんなりと奥へ後退し、青との関係で見えていた雲の強いハイライトも失われ、まぶしさをあまり感じなくなってしまう。さらに建物や、店の看板、車などの色彩が、モノクロだと逆光として沈み込んでしまう。ですから、カラーとモノクロの写真を比べてみると色彩が、写真の中の空間を歪ませ、道路や雲などの関係で作り出されている強いパースペクティブ(遠近法)と拮抗しているかがわかると思います。
つまり、めまいがするような光と空間が揺らぐような感覚は、写真がカラーであることによって初めて生み出されている。そして、そのことによりクラウスが言うような“空や雲といったものを透視図法的秩序においては根底的に不可知なものに化す”感覚というのが写真においても明確に現れている。
ショアはこの雲と空が作り出す空間感覚に、一貫して関心を持ち続けています。カメラが写し取るパースペクティブにいかに抵抗を、もしくは逆説的な利用方法を作り出すかということが彼の意識にはあるはずです。
ですから、彼が空を画面に大きく入れ込む写真は、一方で道路などを使って奥行きを意識的に示すようになっています。そのことによって空と地面の位置関係がより意識される。しかし雲と地平の明確な結節点を見つけられず、たえず地面と空の空間は、歪みを持ちながら、無理やり統合されるような印象を持ちます。
また、量塊性のある雲の重みと軽さは、雲の浮遊感と空間的な認識のズレをより明らかにさせます。ショアの写真が持つ雲のボリュームと空の強く鮮やかな青によって、空間と物質性の関係に独特の歪みを作り出していることは、クールベの空と雲を思い出させます。
雲の問題は、アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)などを始めとして多くの写真家が扱ってきた伝統なモチーフで、ゲシュタルトなどの問題も含め、雲と写真の関係は根源的な問いを感じさせます。それと同時に雲の表象についての問題は、クラウスの雲についての記述が、絵画に対するものであることからもわかるように(ユベール・ダミッシュ『雲の理論―絵画史への試論』など)伝統的な問題といえますが、ショアはそれをもう一度直接的にテーマとして復活させていると考えることができます。
Gustave Courbet《The Calm Sea》(1869)