「写真という逃走経路(1)」(2009)

 第1回目は、シャロン・ロックハート(Sharon Lockhart)という作家を取り上げます。彼女は1964年生まれLA在住の写真と映像を中心に制作をしている作家です。
 彼女の作品は優等生的に見えますが、写真史と美術史の文脈、80年代の美術(写真)の取り扱われ方と60、70年代の美術(写真)の扱われ方の落差を、調停し可能性を探っていこうとした作家として考えるべき部分が多い作家です。
 90年代の彼女の仕事からは、社会に流通しているイメージやシステムをアプロプリエーション(流用)するようなシュミレーショニズムのなかに、もう一度ランド・アートやコンセプチュアル・アートにおける実験・分析・調査的な方法論を組み込もうとする意識が彼女の作品からは感じられました。
 社会的な図式、完成されたイメージが提出されるシュミレーショニズムの政治的な表明とは異なり、彼女の作品はあまりアイロニカルには感じません。ロックハートの作品は、モデルが持っているナイーブな感情なり身振り(社会的なものから抑圧され疎外されながらも保たれているような身振り)を完全に抑圧することなく、作品の構造との関わりを持ちながら導入させています。とはいえ、そういったナイーブな感情というのが、作家を何かしらのものに代表(レプリゼント)させるわけでもなく、もっと対象の問題によった社会学的な調査や分析の方に意識が傾けられている。写真史で言えば、Lewis Hineが捉えたような人間の微細な身振りや存在の現れ方を、映画や絵画の文脈を組み込むことによって、それまでとは違うやり方で再活性化させています。それはジェフ・ウォールのやり方と共通する部分がありますが、合成やスタジオ撮影を巧みに利用し画面に映っているものを完全にコントロールしていくのではないやり方で方法論をいかに見つけていくのか、ロックハートの面白さはそういうところにあったと思います。
 彼女の作品は、シンディー・シャーマンやシェリー・レヴィーンなど80年代の作家が持っているラディカルさからは後退しているとはいえ、様式が固定化されたあとは、ひたすら表面のクオリティを上げてヴァリエーションが一元的な志向に向かっていくような動きに対する抵抗としての可能性が開かれています。
 では、具体的に作品を見ていきます。ここで分析していくのは 《Audition》というシリーズの作品です。このシリーズはそれぞれ異なる2人の男女が撮影された写真が5作品作られています。
 5つの作品では、すべて階段で男の子と女の子がキスをしています。2人の様子はよそよそしくぎこちなさが含まれています。作品タイトルで示されているように、この写真の中での子供達はオーディションのテストとして演技をしています。ロックハートは8歳から11歳までの男女を集め撮影を行いました。
 また、このシークエンスの設計はロックハート自身によって考えられたものではなく、フランソワ・トリュフォーの『トリュフォーの思春期(仏題L’Argent de poche、英題Small Change)』(1976)から引用し、再現されたものです。

 オーディションという本来は作品として提出されない裏側の営為を、演出とドキュメンテーションの中間的な領域を、作品として提出することはアンディ・ウォーホルの《Screen Tests》と共通した意識を見る事ができるはずです。

 《Audition》のシリーズで子供達は、身振りにおいて『トリュフォーの思春期』を正確に再現しようとしていることがわかります。しかし、写真では前後の時間が切り離されるので、その身振りからは違ったメッセージ(意味作用)が生まれています。映画では、マルチーヌとパトリックのファースト・キスとして初々しさとぎこちなさと恥じらいが溢れていますが、写真ではそういった甘酸っぱい感覚は消え硬直しています。女の子は、男の子がせがんでくるキスを受け入れるか拒むかのダブルバインド状態にあるかのような印象を作り出している。

 映画の中でのマルチーヌの恥じらいが写真の中では一つの抵抗もしくは拒否反応として、男の子の積極性は幼さゆえの暴力的な行為に置き換えられたような感覚を持っています。
 これらの写真の身振りから見える子供の意識のあり方の違いは、男の子と女の子の精神年齢の違いとしても受け取ることができます。女の子のキスに対する逡巡は、自制的もしくは警戒心を表すものであって、同時に男の子の欲求に対して受け入れてあげなければという配慮とも感じるので大人な反応に見えます。それに対して男の子は欲望もしくは好奇心が抑えきれず、女の子の意識が見えなくなっているような状態に見える。男の子の幼さというのは、大人への憧れも含まれており、背伸びするという感覚がむしろ幼さを助長しています。
 《Audition One》では、男の子が文字通り背伸びをしているようにも見えるし、《Audition Two》では男の子と女の子が立っている段が、角度的に見ると違うのではないかという感覚を持たせます。
 さらに、男の子と女の子の幼さの見え方の違いとは、2人の頭の高さを画面内で調整し合わせることによってより強く見えるようになっている。カメラの位置や背景の構図を固定させず、人間の入り方を統一させ、それぞれの写真で微妙にカメラの位置やアングルを変えています。画面内における人物の配置を統一することによって、身長差や年齢差などの身体的な特徴が、不確定な要素として逆に強く見えてくるようになる。それらの微細な違いを、観る者に推測させるよう注意を仕向けています。


蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

シェアする