蜘蛛と箒企画・連続講座「世界=現実の脱構成としての芸術」 講師:沢山 遼

講座名
「世界=現実の脱構成としての芸術」
講師:沢山 遼

講座の概要
「芸術は世界を変えられるか」という解けない問いがある。しかし、近代以降の芸術が、世界=現実の模造、模倣をやめるという明確な意志をもって制作されたとすれば、現実それ自体としての芸術は、世界の階層秩序を脱構成―無効化する威力に満ちたものになる。絵筆のたった一振りが、取り戻すことのできない出来事を世界に刻み、別の秩序を生成する。そこでは、世界は変えられるか否か、という視点ではなく、その変革はどのように(どのような思想のもとに)生じるのか、を思考する視点こそ重要となる。この講座では、芸術の脱構成=世界の脱構成という見取り図のもとに、多数の芸術実践とそこに付随する思想を検討し、近現代の芸術の可能性を探ってみたい。

 

第1回「宇宙の統御」
20世紀初頭、抽象絵画のパイオニアとなった画家たちは一様に宇宙、コスモスへの関心を示していた。とりわけカジミール・マレーヴィチのシュプレマティスムの絵画は重力に支配、抑圧された地球(地上)の論理を批判するものだった。諸要素が浮遊する、無重力空間を思わせるシュプレマティスムは、「宇宙の統御」というマレーヴィチの思想に関わるものだったからだ。その思想は、ロシア宇宙主義の創始者である思想家ニコライ・フョードロフの「天体の統御」「自然統御」の思想と明らかに共鳴していた。実際、マレーヴィチの建築模型アルヒテクトンは宇宙ステーションあるいはスプートニクとして構想されたのである。また、国家の威信をかけて行われたアポロ計画に湧くアメリカでは、ロバート・ラウシェンバーグが宇宙開発に強い関心を示し、宇宙開発に関わるイメージを素材にした多くの作品を制作していた--。既存の階層秩序を批判し、新たな秩序を立ち上げようとした芸術家たちの思考をたどる。

第2回「グリフの思考」
1933年に開校したアメリカの芸術学校ブラック・マウンテン・カレッジでは美術と詩、芸術と科学などの複数の表現形式の思想的なアイデアの交換が行われていた。学長であった詩人のチャールズ・オルソンは、マヤの文字絵(グリフ)に大きな関心を示したが、マヤの文字絵はオルソンだけではなく、彼の同僚であったテキスタイル作家のアニ・アルバースも「テキスト」と「テキスタイル」の親和性から関心をもち研究していた。また、当時のブラック・マウンテン・カレッジでは、ベン・シャーン、ジョン・ケージ、ロバート・マザウェル、サイ・トォンブリらが文字の可能性について関心を寄せていた。さらに同じ時期、ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマン、アドルフ・ゴッドリーヴら抽象表現主義の作家たちのあいだでも、ネイティヴ・アメリカンのイデオグラフが注目され、参照されていた。ケージやイサム・ノグチとも交流し1953年にアメリカに渡った画家・長谷川三郎の漢字=イデオグラフの絵画面への導入は、明らかにこのような動向に同期している。彼らは表意文字にどのような可能性をみたのか、表意文字の空間・次元が既存の空間体制を突破するものとはなにか?

第3回「20年代絵画の諸問題」
萬鉄五郎、古賀春江、国吉康雄という1920年代に独自の絵画空間を開発した画家たちの実践をとりあげ、それぞれの作品を詳細に検討する。萬は《裸体美人》(1912)において、いかにも不自由な、斜めに傾いた板の上に妻の身体を載せて描いた。そこに、萬の絵画空間の特異性が露出している。さらに、サンフランシスコ大地震と関東大震災という二度の震災を経験した萬の絵画空間には、統一的な空間体系を引き裂く複数の力学=態勢の干渉が示されていた。そして、日本におけるシュルレアリスム絵画の代表的事例として名高い古賀春江の代表作《海》(1929)には、シュルレアリスムのみならず、バウハウスやハンガリー構成主義のモホイ=ナジやシャーンドル・ボルトニクとの共鳴があった。古賀は、モダニズムの美学、機械美に接近するが、機械の原理を通じて古賀が追求していたのは、統覚の中心としての人間主体を希薄化=脱構成し、動物や事物と魂の移設-交換を行うことだった。そして、16歳でアメリカに渡り、第二次大戦の前後に外地の日本人として苦境を味わった国吉におけるアメリカン・フォーク・アートとの邂逅。国吉はアノニマスで平明なフォーク・アートの表現に「民衆(Folk, Pop)」の原型を見るばかりではなく、複数に拡散する主体=自己を通じて、民衆との和解を試みていた。

第4回「身体というメディウム-場」
この回では、伝説的ダダイストのバロネス・エルサ、今年亡くなったキャロリー・シェニーマンのほか、エイドリアン・パイパー、アナ・メンディエータ、シンディ・シャーマンら自身の身体をメディウムとして扱うことに自覚的であった作家たちの活動をとりあげる。彼女たちばかりではなく、美術・文化状況を見渡せば、イヴォンヌ・レイナーやトリシャ・ブラウンらがいたジャドソン・ダンス・シアターやブラジルのリジア・クラークなど、身体という場を政治的な闘争の場として、あるいは従来のメディウムに代わる重要なメディウムとして取り上げた女性作家は数多く存在する。もちろん、そこで行われていたのは素朴な身体性の発露などではないし、ましてなんらかの特権性や優位性を身体に与えることでもない。そのような幾多の実践において身体が取り上げられる際にはかならず、絵画、彫刻、映像などの隣接領域や、従来の表現形式を批判し、複数の表現形式をつなぐこと、あるいはそこから別の回路を開く可能性、思考が含まれていた。

 

【講師プロフィール】
沢山 遼
1982年生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士過程修了。美術批評家。2009年に「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集第一席。武蔵野美術大学、首都大学、名古屋芸術大学等非常勤講師。主な論考に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』カタログ、東京国立近代美術館、2018年など。

※本講座は4回連続で参加できる人を対象にしています。
本講座の申し込みは終了いたしました。

開催日 第1回 4月27日(土)、第2回 5月25日(土)、第3回 6月29日(土)、第4回 8月24日(土)
開催時間 19:00-21:00(延長の場合は21:30)
受講費 4回講座(1講座120分×4回)8,000円
開催場所 武蔵野プレイス
(武蔵野市境南町2-3-18 tel 0422-30-1905
アクセス:JR中央線・西武多摩川線「武蔵境駅」南口下車、徒歩1分)
入会費 年間1,000円。受講のためには入会が必要となります。有効期間は一年になります。
他の蜘蛛と箒のイベントで割引制度を設ける場合があります。
定員 15名程度
申し込みフォーム  https://form.os7.biz/f/a0116933/
※自動返信メールではありませんので、返信が遅れる場合がございます。

講座に関する質問などは下記までお問い合わせください。
Email:aslspbank@gmail.com

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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