アメリカの民主主義的精神と芸術——ロスコ、ニューマン、デ・メニル夫妻

今回の渡米で最初に観た美術作品は、ロスコ・チャペル(1971)とチャペルと対面するように設置されているバーネット・ニューマンの《ブロークン・オベリスク》(1963-1967)であった。二つの作品は、メニル・コレクションやメニル・パークがある穏やかでとても美しい一角にある。冬の東京からヒューストンに来ると一転して日本の初夏のような気候となり、光が強く、木々の緑が輝いていた。そのことがさらにこの場所の美しさを私に印象づけた。

この二つの作品は、メニル・コレクションを設立したデ・メニル夫妻が購入・依頼して実現したものである。デ・メニル夫妻は、第二次世界大戦のためフランスから逃れてアメリカに移住してきたユダヤ人である。そして、マーク・ロスコはラトビアからのユダヤ移民であり、ニューマンは、ポーランドからのユダヤ移民である。彼らが移民やユダヤ人であったことがこの場所の性格に影響を与えているとはいえないかもしれないが、少なくとも近代的な考えの持ち主であったデ・メニル夫妻の性格が、この場所を宗教的、政治的、そして芸術的にユニークにしたのは確かである。
ロスコ・チャペルの中には、キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教などに関する本が置かれており、ここが特定の宗教に限定されない、多宗教に開かれた場であることが理解できる。また、作品が展示されている空間には、椅子だけでなく床の上で瞑想するためのマットとクッションが置かれていた。実際、僕がチャペルにいた時に展示を観にきているというよりも、瞑想するために来ている人が多かった。十字架も見当たらない。図像のない抽象絵画であっても、ロスコが構築した色彩の効果、水平と垂直を意識する身体感覚や物質性から、抽象化された宗教性を強く意識させた。ここでの“宗教”が、普遍性として開くものとしてあり、多民族国家であるアメリカの理想的な精神を示していた。ロスコの作品は決して明るいとは言えず、重くメランコリックな印象すらある。その重さと瞑想的な雰囲気をもったロスコの重厚な抽象性と、このアメリカの精神性が共鳴し、それに感動することの意味を理解できたような気がした。このことは、この一角に来るまでに、バットマンに出てくるような仰々しいパトカーが走っていたのを見かけたこととのコントラストが含まれている。そのような環境下があり、ここでの穏やかさがあることを意識した。


ロスコ・チャペルの作品は、彼の他の作品よりも、これは絵画であると断定できるものではない特殊なものであった。キャンバスは厚く側面が正面と同じ強度で存在し——キャンバスの側面も一つの色面として機能させていた。複数の作品の関係性が強化され、絵画の特徴である正面性は特権的なものではない。作品の色面や配色は、微妙な差異しか持たない紫がかったモノクロームによって構成されている。作家の身体性を感じさせるストロークがなく、視線が入り込めず、跳ね返されるような壁のような物質感をもっている。他の作品よりも、イリュージョンが否定され物質性が前景化されていた。絵画内の光や色彩よりも展示空間の光(自然光)の効果による効果が強い。この壁のような作品群は、瞑想的な場を構築するための装置という感覚も強い。そのため、ロスコチャペルは徹底されたミニマル・アートに見えた。ただし、簡単にインスタレーションと呼びたくないのは、ここでの作品が様々な外的な関係性を見せながらも、一つ一つが物質的に自律しようとする強さもあったからだ。時間が経つとだんだんと、外的な光の効果だけでなく、作品に含まれる色彩の曖昧なニュアンスや造形が鑑賞者を引き込んでいくようにできている。
この絵画という領域にとどまらない曖昧なニュアンスは、おそらくロスコ自身にとっても難解さを含んでいたはずである。
ロスコは、1964年から67年までチャペルのための制作を行ったが、彼は建築と作品の関係に大変な苦労を要した。ロスコは、フィリップ・ジョンソンをはじめ複数人の建築家と決裂し、建築の完成を見ることなく1970年に自殺して亡くなっている。彼は、作品の位置づけが曖昧となる領域を孕むことで、設置空間に対して非常にナーバスでデリケートになったのではないだろうか。しかし、ロスコのそういった断念のような感情とロスコ・チャペルの作品の達成度は無関係である。ロスコの他の作品群とは異なる存在感が際立っていた。

ニューマンの《ブロークン・オベリスク》の周囲は、竹に囲われていてオリエンタルな印象もあった。オベリスクは、西洋にとどまらず古代エジプトのイメージを強く持っている。本作のピラミッド的な形態は、古代エジプトのイメージをより想起させる働きを持っている。それが破壊されているという状態は、ロマン主義的な情景を感じさせる。
また、ニューマンの意向で、作品は像が映り込むプールの真ん中に置かれている。本作は、高さ約7.5m、約3tにもなる巨大で重厚な作品であるが、ピラミッドの上に逆さのピラミッドが付け足され、それが四角柱として上に延長するような極めて不安定な形態だ。作品の頭頂部は、破壊された後のような断面になっている。プールの矩形や水面が静謐さや安定性は、彫刻のリジットな垂直性は共鳴し、作品に含まれる破壊、不安定さ、重力とはコントラストを作り出している。幾何学的形態や環境が作り出す永遠的で静的な状態と、破壊や構造の不安定さが持っている動的なコントラストが、この作品の超越性や普遍的な思想を導き出している。プールは、単に彫刻をリフレククションするための装置にとどまらず、鑑賞者を彫刻に近づけさせない効果も持っている。そのことは物理的な緊張感を、視覚性に昇華する働きをしていると考えられる。ここにはニューマンの画家らしき特徴を見ることも可能であるだろう。

ところで、オベリスクといえば古代エジプトや古代ローマへ想いを馳せるようなロマン主義的な想像力だけでなく、ワシントンD.C.にあるワシントン記念塔があるため、極めて現在的当事者的なイメージを含んでもいただろう。ワシントン記念塔は、アメリカにとって建国や精神の強いシンボルであり、これ自体が具体的な政治的なイメージを含んでいる。このアメリカの建国の精神、アメリカの精神的なシンボルが破壊されるという示唆をする想像力が本作にはある。これがベトナム戦争や公民権運動などがで国民の政治的な関心が活性化した60年代に作られたことも考えるとそのイメージはより強まる。作家本人がそれを否定しているとしても、デ・メニル夫妻はこの抽象的な作品に含まれるメッセージに極めて敏感に反応した。なぜなら、夫妻はこの《ブロークン・オべリスク》を暗殺されたキング牧師に対する記念碑として捧げるために購入したからだ。デ・メニル夫妻は、最初《ブロークン・オべリスク》をヒューストンの市庁舎の外に設置する提案を行なった。しかし、市の行政はキングの記念碑であるという理由から、それを受け入れず拒否した。その時、《ブロークン・オベリスク》に含まれる「破壊」の意味はより強まっただろう。デ・メニル夫妻はその後ロスコ・チャペルの前に設置することを決めた。

3月24日にアメリカでは、銃規制を訴える行進・デモが過去数十年で最大の規模で行われた。そのワシントン会場でマーチン・ルーサー・キング牧師の孫が「銃のない世界を夢見る」と演説した。《ブロークン・オベリスク》の警句から、アメリカにおける破壊の危機は回避されたわけでも終了したわけでもなく、もちろん破壊から回復がなされたわけでもない。危機は再びますます強まっている。とはいえ、私たちの世界はその危機を伴いながらも、かつてなく安全で平和な世界へと前進している事実も忘れてはならない。その上で、一人の人間が作り出した芸術作品に対する尊厳は、人権に対する尊厳と無関係ではなく、その意義は普遍的なものとして守り続ける必要があるのではないか(もちろん作家に与えられる神話的なものへの批判も忘れてはいけないにせよ)と改めて感じることができた経験であった。


 

蜘蛛と箒

蜘蛛と箒(くもとほうき)は、 芸術・文化の批評、教育、製作などを行う研究組織です。

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